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  • 星野純一×あいみょん特別対談 プロデューサーとシンガーが語る楽曲の“美味しさ”(前編)
    Every Little Thing、ハジ→、平原綾香、GReeeeNなどを手掛けるプロデューサー・作・編曲家の星野純一(以下、星野)と、シンガーソングライターのあいみょん。今回はあいみょんが5月20日にリリースする『tamago』に収録されている「ナウなヤングにバカウケするのは当たり前だのクラッ歌」「○○ちゃん」「強がりました」のサウンドプロデュースを手掛けたことをきっかけに対談を実施。前編では星野とあいみょんの音楽遍歴やレコーディング秘話、2人のやりとりがきっかけで生まれた楽曲について語ってもらった。
    取材・文:中村拓海
    写真:下屋敷和文

    ――ふたりが音楽をはじめたきっかけは?

    あいみょん:
    14歳で作詞を始めて、その翌年にギターを手に取りました。ギターは学校に来ていたALT(Assistant Language Teacher)の先生に「ギターを自分の国に送るより、あっちで買ったほうが安いからあげる」と言われてヤマハのエレキギターを貰ったのがきっかけです。最初はひとりで、教則本を見て簡単そうなものからチャレンジしていました。当時から尾崎豊さんが好きで、彼の曲も練習してましたね。
    星野:
    僕は中学2年生のとき、ずっとやっていたバスケットボール部を辞めたんです。世間がバンドブームだったこともあり、その退部をきっかけにしてギターとバンドを始めたんです。当時はMR.BIGやエクストリーム、それからガンズ・アンド・ローゼスなど、洋楽のHR/HMが流行った時代だったので、速弾きの練習をしていました。現在もたまに、デモのギターに、ネタでタッピングを入れたりします(笑)。

    ――あいみょんさんは尾崎豊、星野さんはMR.BIGなどのメタルから、どのように聴く音楽が変化していったのでしょうか。

    星野:
    僕の場合だと、15歳のときに 『RAINBOW』というレイヴイベントが開催されたり、映画『トレインスポッティング』のサントラで収録されてたUnder Worldなどのテクノが流行しました。 Beckをはじめ、国内だと、コーネリアスさん、ケン・イシイさんとかがPCMシンセ(korg M1)で作ったトラックが海外で注目されていたり、宅録や打ち込みもブームでした。まだこの時はバンド活動も行っていたのですが、ライブでは当時流行ってたHRやグランジを弾いて、終わったらテクノを聴いて、家ではちまちまヤマハの『QY22』に打ち込んで…といった感じでした(笑)。あと、MT50っていうカセットテープの4チャンネルのMTRも使ってましたね。あいみょんはMTRって世代的に知らないかな?
    あいみょん:
    わからない。なんですか?
    星野:
    うーん、ミキサーとテープレコーダーが一緒になったような奴なんだけど、今みたいにコンピュータでやるのと違って、テープだと物理的にわざとひっくり返して録音したのを戻した奴に上書きしたり、わざとちょっとテープスピード早くして録音して戻したりとか、そういう実験的なことが直感的にできて面白かった。
    あいみょん:
    15歳でそんなことしてたんですか? ヒマだったんですね(笑)。
    星野:
    1日中宅録に没頭してたね。睡眠時間は学校の授業中に取ってた(笑)。


    ――星野さんがメタルからテクノを聴くようになったのは、何かきっかけとなる出来事があったのですか?

    星野:
    パブリック・イメージ・リミテッドの『Album』(CD版タイトルは「Compact Disc」)のクレジットがきっかけだと思います。当時はスティーブ・ヴァイから辿って掘っていって、このバンドに辿り着いたんですが、そのクレジットを見ると、クレジットに「坂本龍一」の文字があって、彼に興味を抱くようになったんです。そこからYMOを知り、ケン・イシイを聴いたりと、次第に打ち込み、宅録にハマっていきましたね。 あと個人的にはNHKの『ソリトンSIDE-B』という番組の影響もあったと思います。
    あいみょん:
    わたしはそんなに聴いてなかったかもしれないです。そのときはずっとパン屋さんになりたかったので。「パン屋になろうかな、でもなあ…」とフラフラしてたので(笑)。だから、お父さんの部屋に行って、棚にガーッと並んでるCDを拝借して聴いてました。

    ――お父さんのコレクションのなかで影響を受けたアーティストは?

    あいみょん:
    お父さんがずっと浜田省吾さんを好きだったこともあり、その影響も強いと思います。あと、初めてお父さんの部屋にあるCDで聴いたのはビートルズで、以来ずっと好きですね。
    星野:
    なるほど、あいみょんが作る音楽の面白さって、感覚的にオレらの世代に近いと感じていて。普段の何でもない通学路がウォークマンから聞こえてくる音楽があるだけでまるで違った世界のように感じてた頃の体験に近いというか。音楽の影響力が強かった時代の匂いがするんだけど、それは お父さんの影響なのかもしれないね。
    あいみょん:
    そうですね。あと、個人的に歌謡曲が好きというのもあるんですが、これも元を辿れば家でお父さんが常に流してたからなんだと思います。
    星野:
    あと、今はスマートフォンと動画サイトが普及して、音楽って聴くというより見るものという側面が強くなってきてると思うんだけど、あいみょんの歌は聴くものとしてもちゃんと成立している。今の世代の子でそれができているのって少ないように感じるんだけど。
    あいみょん:
    ありがとうございます。でも、曲を作るときには意識してないんですよ。もちろん、意識することもあるんですけど、手癖で作ったものは大抵歌謡曲っぽくなるので(笑)。でも、目標は小沢健二さんだったんですよ。小沢さんみたいなポップでキュートな音楽を作りたかった。意識して作れるようなタイプのものではないんですけどね。
    星野:
    そのうち作れると思うけどね。これからでしょ。

    ――星野さんが、宅録時代から作家として活動するまでに何があったのでしょうか?

    星野:
    バカテクギタリストが大好きだったので、最初はスタジオミュージシャンになりたかったんです。そこで、東京に出てきて「もっとすごいヤツがいるんだろうな」と意気込んでたんですけど、実際はみんなパンク・メロコアに傾倒していて「時代が変わっているんだな」と感じました。それに、早弾きは1日休むと、取り戻すのに3日かかるので、弾き続けることにしんどさを感じていて、「作って誰かに弾いてもらおう」と思うようになったんです。

    ――弾く側でなく弾かせる側に回りたかったんですね、

    星野:
    そこから19歳の時に『オーディオシティ』というマスタリングスタジオで北村秀治さんに出会い、彼に『Pro tools』を使ったミックス、マスタリングの手ほどきを受けました。この時にジャズとかブラジル音楽、Funk、Soulなど、たくさんの音楽に触れる機会があって、どんどんいろんなジャンルの音楽を漁って吸収するようになりました。

    ――お互いの第一印象は?

    あいみょん:
    第一印象は極端にいえば、大きくてお金持ってそうな人(笑)。スタジオとして使ってる『Sound Kitchen Studio』にもワインがいっぱい並んでたし。でも、実際ご一緒させてもらったら、すごく真面目で話が面白い方でした。
    星野:
    僕の彼女に対する第一印象って、 直接会う前に現在のマネージャーの濱田さんと某レコード会社の方と3人で、うちに集まって度々やってた新人発掘会で見たYoutubeが最初で 「若っ、 歌上手いね」と思ったくらいなんです。最初に貰った音源が色んな人のカバーをしているもので、今のあいみょんからは想像できないかもしれないけど、ビヨンセの「Listen」を弾き語りじゃなくカラオケで歌ってたんですよ。その歌の上手さに驚愕した! こういうのもちゃんとできるんだって。そして実際会ってみたらあまりに普通の子でまたビックリした。あれはどこかで披露した方が良いと思うよ。
    あいみょん:
    あの曲は『ドリームガールズ』という映画を見ていいなと思って練習した覚えがあります。いま思い返すと懐かしいですね。披露か…誰かの結婚式で歌いましょうか(笑)。


    星野:
    いいんじゃない(笑)。ともかく、そんな入りで関わったので、詞とか曲が面白いと思ったのはその後なんです。彼女のファンや世間一般の印象としては、歌詞や楽曲のイメージが先行していると思うんだけど、僕はまず「声がいい、歌がうまい」っていうのが第一印象です。その後、何回も会ううちに、平和で面白い子だなと感じるようになった。「あったかい家庭で育ったんだね」っていうのがにじみ出てるというか(笑)。
    あいみょん:
    ありがとうございます。そんな風に思ってたんですね。

    ――あいみょんさんは、星野さんの手がけた楽曲を聴いてどういう印象を持ちましたか。

    あいみょん:
    すごくイメージしていた通りにアレンジしてくれるので、音源が上がってくるたびに「これはいけるぞ」と自信が持てます。「マジバッチグー」って感じですね。あ、「バッチグー」といえば、「ナウなヤングにバカウケするのは当たり前だのクラッ歌」は、星野さんの家でレコーディングをしていた際の会話から生まれた曲なんです。
    星野:
    ある曲をレコーディングしたあとに、あいみょんが僕に「バッチグーなのできましたね」と言ったんですよ。それを僕が「死語だよ」って指摘した。
    あいみょん:
    それを私が「え、死語なんですか? 私は使いますけど」って答えたんですよね。
    星野:
    そうそう。で、「その死語で曲作ったら面白いんじゃない?」って軽い気持ちで言ったら、見事に死語だらけの曲を作ってきてくれた。
    あいみょん:
    アルバムにこの曲を入れる前から「アレンジとプロデュースは星野さんにやってもらいたい」って思っていたので、収録が決まった段階で改めてお願いしました。そして出来上がったものを聴いて「ヤバいじゃないですか」って伝えました(笑)。

    ――この曲はアルバムの中でもかなり異質で飛び抜けている楽曲ですね。

    あいみょん:
    こういう曲もあった方が私の色んな面を見せれるかなと思ったんです。
    星野:
    ガヤ録りがすごく時間かかったよね。あいみょんってOKテイクが出るまでものすごく早いので、普通の曲は2、3テイクで終わるんですよ。スタッフさんも総出でガヤ入れをしてもらったし。
    あいみょん:
    星野さんって、プリプロなどもいつも丁寧にやってくれますし、私の「こうして欲しい」を掴んでくれてるから、時間かかったと言っても全然じゃないですか。

    ――ちなみにこの曲で、ガヤ以外に工夫されたポイントは?

    星野:
    あいみょんに限らず、僕が楽曲を手掛けるときは、原曲を“美味しく”しようと思っているんです。もちろん、職人技として預かったものを上手に綺麗に整えることもあるんですけど、音楽としての優先順位で考えたときに、いちばん大事なのはおいしいことで、そのためにどうするかが一番大事だと考えています。だから、楽曲によっては粗いほうが美味しいこともあるんですよ。そして、あいみょんのデモは「これはちょっとザラっとさせようか」というイメージを曲がしっかり提示してくれている。だから、あとはそれをどこまで引っ張って、旨味を出すか、人を惹きこむ楽曲にするかどうかが僕の仕事なんです。そこは周りの方と比べて、面倒臭いと思われるくらいこだわっていますし、譲れない部分ですね。
    あいみょん:
    私も、綺麗な曲を作りたいと思っているわけではないので、今の星野さんの話を聞いて納得できる部分がありました。
    星野:
    あいみょんの場合、ネタは全部揃ってるから、あとは「どう握るか」という状況のものを持ってきてくれる。だから無理に作る必要もないし、バランスを考えたり、良い部分をどう引き出すかだけなんです。

    >「飾るというよりは本質の部分を磨きあげる」 星野純一×あいみょんが考える音楽の魔法とは?(後編)




    あいみょん

    1995年生まれ。兵庫県西宮市出身&在住のシンガー・ソングライター。
    6人きょうだいの2番め。
    かつて歌手を夢見ていた祖母や、音響関係の仕事に就いている父親の影響で幼少の頃より音楽に触れて育ち、中学の頃からソングライティングを始める。
    高校卒業後、主に唐揚げや富士宮やきそばを売るバイトをしながらYouTubeに楽曲をアップしはじめ、ネット上で話題に。
    2015年3月4日、タワレコ限定シングル「貴方解剖純愛歌〜死ね〜」をリリースし、19歳でデビュー。過激な歌詞が話題となり、各局で放送NGとなりながらもオリコンインディーズチャートでトップ10入りする。
    2015年5月20日、初の全国流通盤となるミニアルバム「tamago」をリリース。
    オフィシャルサイト


    星野純一

    作曲、アレンジ、レコーディング、ミックス、マスタリングまで音楽制作の全ての過程をこなすトータルプロデューサー。
    Every Little Thing、ハジ→、平原綾香、GReeeeN等アーティストへの楽曲提供、アレンジ、サウンドプロデュース。またCM、劇伴等、インストものも数多く提供。
    自身のアーティスト名義のTOKYO COUNTERPOINTでは海外レーベルから沢山の作品をワールドワイドにリリース。自身のホームグランドであるSound Kitchen Studioを運営するSound Kitchen Inc.代表も務める。
    オフィシャルサイト

    2015.05.20

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